杉原長房(すぎはらながふさ)
戦国武将、但馬豊岡初代藩主[日本]
(寛永6年2月4日没)
1629年 2月26日 死去享年56歳
杉原 長房(すぎはら ながふさ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての大名。
豊臣秀吉の一門衆。
豊後国杵築城主から但馬国豊岡亀城主に転じて、豊岡藩初代藩主となった。
経歴=
天正2年(1574年)、羽柴秀吉(豊臣秀吉)の家老・杉原家次の長男として近江国小谷で生まれた。
秀吉の妻・北政所(高台院)の従弟にあたる。
姉に木下延俊や小早川秀秋らを生んだ雲照院がいる。
幼くして両親とは離れ浅野長政に育てられており、のち長政の娘を娶る。
天正12年(1584年)の父・家次の死去により、家督を継いだと思われるが、定かではない。
家次が預かっていた坂本城主には長政がなっている。
天正14年(1586年)より秀吉に仕えて、摂津の西代・尻池の地を与えられた。
天正17年(1589年)、従五位下伯耆守に叙任された。
文禄元年(1592年)の文禄の役では肥前名護屋城に駐屯した。
文禄2年(1593年)閏9月12日、3,000石を加増される。
慶長元年(1596年)、坂本から豊後国速見郡へ移封されて、杵築城(木付城)主とされた。
慶長2年(1597年)には但馬国豊岡城(亀城)へ移封され、播磨三木城の城代を兼ね、知行は3万石(城崎郡2万石、美含郡内1,000石、気多郡内1,000石、常陸小栗庄5,000石、近江内1,000石)。
慶長3年(1598年)8月の主君・秀吉が死去すると、遺物金15枚を受領した。
慶長4年(1599年)正月、秀吉の子・豊臣秀頼に伺候。
同年2月、播磨三木郡の代官を務めた。
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杉原長房が亡くなってから、395年と265日が経過しました。(144539日)