北条氏直(ほうじょううじなお)
戦国大名[日本]
(天正19年11月4日没)
1591年 12月19日 死去享年30歳
北条 氏直(ほうじょう うじなお)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。
相模国の戦国大名で小田原城主。
後北条氏の第5代当主である。
父は北条氏政、母は武田信玄の娘・黄梅院。
父と共に後北条氏の最大版図を築き上げたが、外交の失敗で豊臣秀吉による小田原征伐を招き、後北条氏の関東支配は終焉を迎えた。
生涯=
家督相続=
後北条氏は氏直の祖父・北条氏康の時代に甲斐の武田氏・駿河の今川氏と甲相駿三国同盟を締結していたが、父の氏政はその一角である甲相同盟において武田信玄の娘・黄梅院を正室としており、氏直は永禄5年(1562年)に氏政の次男として小田原城で生まれる(『平姓北条氏系図』・『石川忠総留書』)。
兄の新九郎は早世したため、嫡男として扱われた。
幼名は国王丸。
仮名は新九郎。
武田義信・武田勝頼の外甥にあたる。
永禄11年(1568年)末には武田・今川間の関係悪化により武田氏の駿河侵攻が行われ、母である黄梅院は父と離縁させられ、実家の武田家に戻されたのち永禄12年(1569年)6月に病死したとされてきた。
ところが、浅倉直美による論文が発表され、黄梅院が離縁されたという話は1970年代に史料の誤読によって生み出された誤説に過ぎないとされ、彼女は小田原城で死去したと考えられるようになった。
なお、同論文では、氏直の母は黄梅院ではなく側室の子だったのではないか、とする指摘がなされている(氏直の生母の問 ……
北条氏直が亡くなってから、432年と335日が経過しました。(158123日)