北条氏照(ほうじょううじてる)
戦国武将[日本]
(天正18年7月11日没)
1590年 8月10日 死去切腹享年49歳
北条 氏照(ほうじょう うじてる)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。
生涯=
幼少期=
天文11年(1542年)に、北条氏康と瑞渓院の子、氏康の三男として生まれる。
弘治元年(1555年)11月に下総葛西城で行われた古河公方・足利義氏の元服式に、兄弟で唯一、父・氏康と一緒に参加している。
大石家への養子入り=
弘治2年(1556年)5月、大石家の領国である相模国座間郷に所在した神社の再興にあたって大檀那を務めており、この頃、大石家の領国支配に関与し始めたとみられている。
また、同年に元服したとされ、仮名の源三と諱の氏照を名乗ることになる。
永禄2年(1559年)11月、大石家の本城・由井城に入り、自ら由井領の領国支配を開始する。
この年大石定久の娘・比左を娶り、養子縁組をして大石源三氏照と名乗り、家督を譲られる。
弘治元年(1555年)頃まで、大石氏の当主は大石綱周という人物であったことが分かっており、綱周は定久の息子で比佐の父親、つまり氏照の養父であったとする説が近年有力視されている。
弘治元年頃に綱周が隠居もしくは死去に伴って新しい当主を立てる必要が生じていたが、大石氏の一族の家臣の中にはいまだに上杉氏などと連動して北条氏に叛旗を翻そうとする勢力がいたため、氏康は大石氏を確実に掌握して西武蔵を安定化させるために、自分の息子を養子として送り込んだとみられている。
大石家に養子入りした後もしばらくの間、具体 ……
北条氏照が亡くなってから、434年と100日が経過しました。(158619日)