北条氏盛(ほうじょううじもり)
河内狭山藩 初代藩主[日本]
(北条氏規長男。北条氏直の死後、北条宗家を継ぐ。慶長13年5月18日没)
1608年 6月30日 死去享年32歳
北条 氏盛(ほうじょう うじもり)は、安土桃山時代の武将、江戸時代初期の大名。
河内狭山藩の初代藩主。
通称は助五郎。
官位は従五位下、美濃守。
生涯=
従兄の後北条氏5代当主北条氏直と徳川家康の次女督姫の養子となる。
天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原征伐によって後北条氏が滅亡した後、父と共に高野山に向かったが、やがて秀吉に許され、天正19年(1591年)、養父氏直が病死するとその遺跡である下野4千石の所領を与えられた。
翌天正20年(1592年)、朝鮮出兵で肥前名護屋に従軍した。
慶長5年(1600年)、実父氏規が死去するとその家督を継ぎ、五大老筆頭の徳川家康からも河内狭山にあった父の遺領7千石を安堵された。
こうして氏盛は計1万1千石の大名となり、狭山藩の初代藩主となった。
同年、関ヶ原の戦いでは東軍の西尾吉次隊に属し本領安堵、家康の将軍就任後は徳川氏へ仕えた。
慶長13年(1608年)に死去、享年32。
法名は松林院殿浄誉心徹大禅定門。
墓所は専念寺(大阪市)。
家督はまだ幼い嫡男の氏信が継いだ。
系譜=
父母
北条氏規(実父)
高源院 - 北条綱成の娘(実母)
北条氏直(養父)
督姫 - 徳川家康の次女(養母)
正室
旗本船越景直の娘
子女
北条氏信(長男)
北条氏利(次男)
北条氏重(三男)
出典=
北条氏盛が亡くなってから、416年と141日が経過しました。(152085日)