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海音寺潮五郎(かいおんじちょうごろう)

作家[日本]

1977年 12月1日 死去心筋梗塞享年77歳

海音寺潮五郎 - ウィキペディアより引用

海音寺 潮五郎(かいおんじ ちょうごろう、1901年〈明治34年〉11月5日 - 1977年〈昭和52年〉12月1日)は、日本の小説家・作家。
本名は末冨 東作(すえとみ とうさく)。
鹿児島県伊佐郡大口村(現・伊佐市)生まれ。
次女は日本テレワークの社長を務めた末冨明子。
略歴= 1901年、鹿児島県伊佐郡大口町(現・伊佐市大口里)の山師の家に生まれる。
幼い頃に体が大きかったことから、1年繰り上げで小学校に入学。
実際は何をするにも1歳年上の同級生たちに及ばず、学校生活は苦労の多い辛いものだった(のちにこれが文学を志すきっかけとなったと語っている)。
國學院大學高等師範部国漢科を卒業後、中学教師を務めながら創作を始める。
1934年に作家デビュー。
歴史小説を多数発表した。
國學院大學教授で戦国史の大家であった桑田忠親との交友も深かった。
「天正女合戦」(『オール讀物』1936年4月号 - 7月号)と「武道伝来記」その他 (『日の出』1936年3月号)で第3回直木三十五賞(1936年上半期)を受賞。
史伝『西郷隆盛』がライフワークで、絶筆・未完作となった。
それに結末を与えたのが、弟子とも言うべき司馬遼太郎の『翔ぶが如く』である。
大口市歌の作詞や、大口酒造が製造・販売する焼酎「伊佐錦」のラベルの題字も手がけた。
筆名の由来= 「海音寺潮五郎」という筆名の由来については、海音寺本人が『日、西山に傾く』収録の「夢想の筆名」の中で詳しく説明し ……

海音寺潮五郎が亡くなってから、46年と355日が経過しました。(17157日)

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