島津久光(しまづひさみつ)
薩摩藩後見役、公爵[日本]
1887年 12月6日 死去享年71歳
島津 久光(しまづ ひさみつ)は、江戸時代末期の薩摩藩主・島津茂久の実父、明治時代の日本の政治家。
位階・勲等・爵位は従一位大勲位公爵。
字は君輝、邦行。
雅号は幼少時が徳洋、以後は大簡・叟松・玩古道人・無志翁と号した。
島津家第27代当主(薩摩藩10代藩主)島津斉興の五男で庶子。
はじめ一門の重富島津家の養子に入ってその当主となっていたが、のちに島津宗家に戻り、29代当主(12代薩摩藩主)となった長男の茂久を後見人として補佐した。
維新後には明治政府の内閣顧問、左大臣に就任。
明治4年に玉里島津家を興してその初代当主となり、島津宗家と別に公爵に叙せられた。
同28代当主(11代藩主)島津斉彬は異母兄。
次男・久治は宮之城家、四男・珍彦は重富家、五男・忠欽は今和泉家、と島津家の旧来の分家をそれぞれ相続した。
香淳皇后の曾祖父、第125代天皇明仁の高祖父にあたる。
生涯=
若年期=
文化14年(1817年)10月24日、薩摩国鹿児島郡(現・鹿児島県鹿児島市)の鹿児島城において誕生する。
生母は斉興の側室・お由羅の方。
幼名は普之進(かねのしん)。
生母・お由羅の身分が低く、文政元年(1818年)3月1日に種子島久道の養子となり、公子(藩主の子)の待遇を受ける。
文政8年(1825年)3月13日に島津宗家へ復帰し、4月に又次郎と改称する。
同年11月1日、島津一門家筆頭の重富島津家の次期当主で叔父にあたる島津忠公の娘・千百子と婚姻し、 ……
島津久光が亡くなってから、136年と350日が経過しました。(50024日)