三条実美(さんじょうさねとみ)
公卿、政治家、兼任内閣総理大臣、公爵[日本]
1891年 2月18日 死去享年55歳
旧暦天保8年2月(1837年)、公卿・三条実万の四男として誕生。
幼名は福麿。
実母は正室である山内紀子だったが、四男のために三条家庶流である花園公総の養子となる予定だった。
幼い頃から聡明で知られ、教育係の儒者・富田織部から高い尊皇意識の影響を受ける。
安政元年2月(1854年)、三条家の嗣子であった次兄・三条公睦が早世。
本来ならば、公睦の嫡子・公恭が継ぐものを、この甥の幼さと織部の強い推挙から、4月に福麿が嗣子となった。
8月には元服して実美と名乗り、この読みは、通例では「美」を「よし / はる」と読んだが、父が忌んだために、儒者・池内大学の勧めから「さねとみ」となった。
尚、甥・公恭は実美の養子に迎えられる。
父が攘夷達成のために「戊午の密勅」発出の立役者となると、幕府から迫害を受け、安政5年10月23日(1858年)、父は隠居・蟄居し、織部ら三条家の侍も多く逮捕される安政の大獄が発生。
この状況下で、実美が正式に三条家の家督を相続し、父は翌年10月に出家・謹慎へ追い込まれた末に死没する。
尊攘派公家の代表 文久2年(1862年)、島津久光の上洛以降、5月10日には、久光の意見を取り入れつつ、関白・九条尚忠を退任させ、旧例にとらわれず関白を選ぶべきとする上書を提出。
翌日には、国事書記御用に任命され、朝廷の中枢に近付く。
実美を引き立てたのは、父に師事した中山忠能や親類筋の正親町三 ……
三条実美が亡くなってから、135年と184日が経過しました。(49493日)



