近衛忠煕(このえただひろ)
公卿[日本]
1898年 3月18日 死去享年91歳
近衛 忠熈(このえ ただひろ、.mw-parser-output .lang-ja-serif{font-family:YuMincho,"Yu Mincho","ヒラギノ明朝","Noto Serif JP","Noto Sans CJK JP",serif}.mw-parser-output .lang-ja-sans{font-family:YuGothic,"Yu Gothic","ヒラギノ角ゴ","Noto Sans CJK JP",sans-serif}旧字体: 近󠄁衞 忠熈)は、江戸時代後期から明治時代中期にかけての公卿。
官位は従一位・左大臣・関白。
贈正一位。
勲一等。
翠山と号す。
左大臣を務めた近衛基前の長男として生まれ、近衛家の第27代当主となった。
母は徳川宗睦の養女(松平勝当の娘)・静子。
左大臣や関白などを歴任し、公武合体派として活動した。
近衛忠煕が亡くなってから、128年と89日が経過しました。(46841日)
