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大谷光勝(おおたにこうしょう)

浄土真宗侶、東本願寺21世、伯爵[日本]

1894年 1月15日 死去享年78歳

大谷 光勝(おおたに こうしょう)は、江戸時代後期から明治時代にかけての浄土真宗の僧。
法名は、「嚴如」(ごんにょ)。
東本願寺第二十一代法主 。
真宗大谷派管長。
子に四男・大谷光瑩、九男・大谷勝信、次女(水谷川忠起の妻)、六女・梭子(おさこ。
岩倉具経の妻)ら。
生涯[編集] 本ページでは、年齢は、数え年。
日付は、暦の正確性、著作との整合を保つ為、天保14年12月29日(1844年2月17日 )までは、寛政暦表示。
天保15年1月1日(1844年2月18日)から明治5年12月2日(1872年12月31日)までは、天保暦表示。
明治6年1月1日(1873年1月1日)からは、グレゴリオ暦表示とする(誕生年月日を除く)。
また本山は、「本願寺」が正式名称だが、「西本願寺」との区別の便宜上、「東本願寺」と表記。
文化14年3月7日(1817年4月22日 )、東本願寺第二十代 達如の次男として誕生。
近衛忠煕の猶子となる。
文政6年(1823年)、東本願寺、両堂宇を焼失する。
文政7年(1824年)、東本願寺、仮堂宇を立てる。
文政11年(1828年)3月18日、得度する。
院号を「霊心院」、法名を「逹住」、諱を「朗澄」と名乗る。
長浜別院 大通寺と姫路別院本徳寺の住職を兼職する。
天保12年(1841年)4月6日、法嗣(法主後継者)である長兄・寶如が死去。
同年12月10日、寶如の死去により法嗣となる。
法名を「嚴如」と改める。
弘化3年5月23日(1846年)父・達如が隠退により、第二十一代法 ……

大谷光勝が亡くなってから、130年と192日が経過しました。(47675日)