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大谷光瑩(おおたにこうえい)

浄土真宗侶、東本願寺22世[日本]

1923年 2月8日 死去享年72歳

大谷光瑩 - ウィキペディアより引用

大谷 光瑩(おおたに こうえい)は、明治から大正時代にかけての浄土真宗の僧。
法名は現如(げんにょ)。
東本願寺第22代法主(1889-1908) 。
真宗大谷派管長。
1896年より伯爵。
前法王大谷光勝の四男。
生涯= 日付は、暦の正確性、著作との整合を保つため、明治5年12月2日(1872年12月31日)までは、天保暦表示。
明治6年1月1日(1873年1月1日 )からは、グレゴリオ暦表示とする(誕生年月日を除く)。
また本山は、「本願寺」が正式名称だが、「西本願寺」との区別の便宜上、「東本願寺」と表記。
嘉永5年(1852年)7月27日、東本願寺第二十一代 嚴如(大谷光勝)の第五子(四男)として誕生。
明治3年(1870年)2月10日、東本願寺が明治新政府から請け負った北海道開拓事業の責任者として、百数十名の随員を従えて北海道へ渡る。
その道中は、教化をしながら工事費などの寄付を募り、また北海道への移民勧誘をおこなう。
同年7月7日、函館に到着する。
本願寺道路の建設など開拓を指示し、札幌へ向かい朝廷より下賜された土地を視察する。
明治4年(1871年)9月、その地に布教の拠点として、その地に東本願寺管刹(寺)を建設する。
明治9年(1876年)、その官刹を東本願寺札幌別院と改称する。
明治5年(1872年)9月から翌年7月にかけて、ヨーロッパ各国を歴訪し宗教事情を視察、教団の近代化に寄与した。
この時の随行員に成島柳北がいた。
明治22年9月14日(1889年)父・ ……

大谷光瑩が亡くなってから、101年と287日が経過しました。(37177日)