酒井米子(さかいよねこ)
女優[日本]
1958年 10月15日 死去享年61歳
酒井 米子(さかい よねこ、1898年11月25日 - 1958年10月15日)は、日本の女優である。
本名は酒井 よね子(さかい よねこ)。
身長5尺2寸(157.5センチメートル)、体重12貫500匁(46.8キログラム)。
人物・来歴=
1898年(明治31年)11月25日、東京府東京市神田区旭町(現在の東京都千代田区神田内神田)に生まれる。
1904年(明治37年)、伊庭孝率いる「伊庭孝一座」で初舞台を踏んでいる。
満13歳を迎える1911年(明治44年)、井上正夫率いる有楽座「井上正夫一座」に入団する。
『ディオゲネスの誘惑』のイノ役、『野鴨』のヘツドヰヒ役を演じた。
芸術座に加入しようとするが、松井須磨子に反対される。
1920年(大正9年)2月、日活向島撮影所に「同撮影所最初の女優」として入社し、新劇部門の第三部設立第1作、田中栄三監督の『朝日さす前』に出演、同作は同年12月31日に公開され、大正10年の正月映画の主演として映画界にデビューした。
1921年(大正10年)3月、日活を退社、翌1922年(大正11年)7月に松竹蒲田撮影所に移籍する。
1923年(大正12年)、日活向島撮影所に復帰する。
同年9月1日の関東大震災により撮影所が壊滅、日活大将軍撮影所に異動となる。
のちに現代劇から時代劇に転向し、スター女優、幹部俳優となる。
1932年(昭和7年)7月、日活を退社し、「酒井米子一座」を結成、舞台実演の巡業を行った。
以降、フリーランスの俳優となる。
1958年(昭和33年)10月15日、死去し ……
酒井米子が亡くなってから、66年と37日が経過しました。(24144日)