芸能人・経営者のおくやみ情報

辻吉郎

映画監督脚本家俳優[日本]

1946年 12月9日 死去喉頭結核享年55歳

辻吉郎 - ウィキペディアより引用

辻 吉郎(つじ きちろう、明治25年(1892年)8月24日 - 昭和21年(1946年)12月9日)は、日本の映画監督、脚本家、俳優である。
初期の俳優時代の芸名は市川 芝喜蔵(いちかわ しきぞう)、晩年に辻 吉朗(読み同)に改名している。
来歴= 明治25年(1892年)8月24日、秋田県に生まれる。
東京市神田区三崎町(現在の千代田区三崎町)にあった旧制・大成中学校(現在の大成高等学校)を卒業、秋田に帰り公務員をしていたが、明治44年(1911年)、京都に移住し、日活京都撮影所俳優部に入社した。
「市川芝喜蔵」の名で牧野省三監督・尾上松之助主演のサイレント映画に多く出演した。
大正4年(1915年)、尾上松之助主演の映画『大前田英五郎』を演出し、映画監督となる。
以降、日活京都一筋に職人監督としての道を歩む。
昭和4年(1929年)、「辻吉朗」と改名した。
1934年(昭和9年)8月、日活を退社した永田雅一が第一映画社を立ち上げると、辻も合流した。
昭和17年(1942年)、第二次世界大戦の開戦による戦時統合で日活の製作部門が、大都映画、新興キネマと合併して大日本映画製作(のちの大映)を設立したことを機に、松竹下加茂撮影所に移籍した。
昭和18年(1943年)、牧野省三の三男で、辻のチーフ助監督だったマキノ真三と共同監督で『海賊旗吹っ飛ぶ』を監督したが、同作が遺作となった。
昭和21年(1946年)12月9日、喉頭結核で死去した。
満54歳没。
昭和20年(1945年)死去説 ……

辻吉郎が亡くなってから、77年と348日が経過しました。(28472日)

「辻吉郎」と関連する故人

推定関連画像