市川右太衛門 氏(いちかわうたえもん)
俳優[日本]
(本名・淺井善之助)
1999年 9月16日 死去享年93歳
市川 右太衛門(いちかわ うたえもん、1907年〈明治40年〉2月25日 - 1999年〈平成11年〉9月16日)は、日本の映画俳優。
本名:淺井 善之助(あさい ぜんのすけ)。
愛称は「右太さん」。
次男は俳優の北大路欣也。
戦前・戦後期の時代劇スターとして活躍し、同時代の時代劇スターである阪東妻三郎、大河内伝次郎、嵐寛寿郎、片岡千恵蔵、長谷川一夫とともに「時代劇六大スタア」と呼ばれた。
映画主演総数は300本を超える。
来歴=
1907年(明治40年)2月25日、大阪府大阪市西区に生まれる(香川県丸亀市生まれの説もあるが、本人は後述の著書『旗本退屈男まかり通る』でこれを否定している)。
祖父が坂出市の旧家の出で、生家は鉄工所を経営していた。
遊芸好きの両親の影響で、5歳のころから日本舞踊上方舞の山村流を習い始める。
6歳の時、子役として初代中村扇雀一座に借り出され、『菅原伝授手習鑑』に菅秀才の役で出演して初舞台を踏む。
歌舞伎界へ=
大阪市立九条東小学校卒業後、上方歌舞伎の第一人者・2代目市川右團次の弟子となり、市川 右一(いちかわ ういち)の名をもらう。
のち中村扇雀(2代目鴈治郎)が座頭の関西青年歌舞伎の一員となる(座員はほかに市川百々之助、林長丸(長谷川一夫)、嵐徳太郎(嵐寛寿郎)らがいた)。
屋号は「高島屋」で、主役を張って人気を集めた。
やがて『勧進帳』の武蔵坊弁慶など大役も任せられるようになったが、門閥出身ではな ……
市川右太衛門さんが亡くなってから、25年と29日が経ちました。(9160日)