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山本有三(やまもとゆうぞう)

作家[日本]

1974年 1月11日 死去享年88歳

山本有三 - ウィキペディアより引用

山本 有三(やまもと ゆうぞう、1887年〈明治20年〉7月27日 - 1974年〈昭和49年〉1月11日)は、大正から昭和にかけて活躍した日本の小説家、劇作家、政治家。
本名:山本 勇造(やまもと ゆうぞう)。
日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。
人道的な社会劇作家として名を成し、『嬰児殺し』『坂崎出羽守』『同志の人々』などを発表。
その後、小説に転じて『波』『女の一生』『真実一路』『路傍の石』などを書き、理想主義の立場から人生の意味を平明な文体で問いかけた作風で広く読まれた。
第二次世界大戦後は貴族院勅選議員。
のち参議院議員として新仮名遣い制定など国語国字問題に尽力した。
来歴= 呉服商の子として栃木県下都賀郡栃木町(現在の栃木市)に生まれる。
跡取り息子として裕福に育ち、高等小学校卒業後、父親の命で一旦東京浅草の呉服商に奉公に出されるが、一度は逃げ出して故郷に戻る。
上級学校への進学を希望したが許されず、結局、家業を手伝うことになる。
この頃、佐佐木信綱が主宰する短歌の結社「竹柏会」に入会し、新派和歌を学んだ。
また『中学世界』や『萬朝報』『文章世界』に投稿して入選している。
その後、1905年に母の説得で再度上京。
正則英語学校、東京中学に通い、1908年(明治41年)に東京府立一中を卒業。
1909年(明治42年)9月一高入学。
同級だった近衛文麿とは生涯の親交を暖めた。
1年の留年を経て一高を中退し、 ……

山本有三が亡くなってから、50年と314日が経過しました。(18577日)

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