宇田川玄随(うだがわげんずい)
蘭学者[日本]
(寛政9年12月18日没)
1798年 2月3日 死去享年43歳
宇田川 玄随(うだがわ げんずい、宝暦5年12月27日(1756年1月28日) - 寛政9年12月18日(1798年2月3日))は医学者、蘭学者。
名は晋、字は明卿、号は槐園(かいえん)または東海(とうかい)。
経歴=
代々江戸詰の津山藩医を務める家系に生まれる。
元来は漢方医であったが、杉田玄白・前野良沢らと交流するうちに蘭学へと転向し、大槻玄沢の芝蘭堂で学ぶ。
宇田川玄真は養子。
弟子に佐藤信淵など。
墓所は泰安寺(岡山県津山市)にある。
著作=
『西説内科撰要』 - ヨハネス・デ・ゴルテル著の『簡明内科書』の訳書で日本初の内科書。
桂川甫周より与えられた。
『内科書付録《製錬術》』 - ステフェン・ブランカールト著の訳書で日本初の製薬化学書。
『遠西草木略』
『東西病考』
『ハルマ和解』 - 編纂に参加・協力。
宇田川玄随が亡くなってから、226年と289日が経過しました。(82836日)