エドワード・ピッカリングEdward Charles Pickering
天文学者[アメリカ]
1919年 2月3日 死去享年74歳
エドワード・ピッカリング (Edward Charles Pickering 、1846年6月19日 - 1919年2月3日)は、アメリカ合衆国の天文学者である。
天文学者・ウィリアム・ヘンリー・ピッカリングの兄である。
略歴=
ボストンで生まれた。
ボストン・ラテン・スクールで学んだ後、科学に転じ、ハーバード大学で学んだ。
マサチューセッツ工科大学で物理学を教えた後、1877年から1919年に逝去するまでハーバード大学天文台の台長を務めた。
分光装置のついた望遠鏡を使って天体を撮影することによって、複数の恒星のスペクトルを同時に撮影する技術を開発し、多くの天体のデータを集めて多くの重要な発見を行なった。
計算手や写真データの解析要員として女性を多く雇用し、それらの女性の中にはアニー・ジャンプ・キャノン、ヘンリエッタ・リービット、アントニア・モーリ、ウィリアミーナ・フレミングといった、後に天文学上の業績を挙げることになる女性も多く含まれていた。
ウィリアミーナ・フレミング、アニー・ジャンプ・キャノンとともにハーバード分類と呼ばれる恒星のスペクトル分類法を開発した。
ヘルマン・カール・フォーゲルとともに、ピッカリングは最初の分光連星を発見した。
1907年王立協会の外国人会員に選出された。
賞歴=
イギリス王立天文学会ゴールドメダル(1886年と1901年)
ヘンリー・ドレーパー・メダル (1888年)
ブルース・メダル(1908年)
ジュール・ジャンサン賞(1908年)
エポニ ……
エドワード・ピッカリングが亡くなってから、105年と305日が経過しました。(38656日)