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澤田正二郎(さわだしょうじろう)

俳優[日本]

1929年 3月4日 死去脳膜炎享年38歳

澤田正二郎 - ウィキペディアより引用

澤田 正二郞(さわだ しょうじろう、新字体:沢田 正二郎、1892年〈明治25年〉5月27日 - 1929年〈昭和4年〉3月4日)は、大正から昭和初期に活躍した大衆演劇の人気役者。
劇団新国劇を創設して座長を務め、澤正(さわしょう)と呼ばれて広く親しまれた。
来歴= 妻の渡瀬淳子 澤田正弘・寿々子の第3子として、滋賀県大津市の三井寺の近くに生まれる。
収税吏の父が2歳のときに没して一家は上京し、1898年(明治31年)、車坂(現:東京都台東区上野七丁目)にあった下谷小学校(1990年に台東区立上野小学校へ統合)へ入学した。
1903年(明治36年)、開成中学校へ進み、翌年の陸軍中央幼年学校の受験は、近視により失敗した。
この頃から浅草の開盛座にて、幕末動乱を舞台とした演劇で、勤王の士と佐幕党の立ち廻りを見て喜ぶようになった。
1908年(明治41年)(16歳)、一高受験に失敗。
本郷森川町で浪人生活を送る。
自由劇場の『ジョン・ガブリエル・ボルクマン』を見て新劇俳優を目指し、翌年に早稲田大学文科予科へ入り、1911年(明治44年)、坪内逍遙の文芸協会附属演劇研究所の2期生となって、同年末、端役で帝国劇場の舞台を踏んだ。
1913年(大正2年)(21歳)、同研究所の全課程を終え、島村抱月、松井須磨子らの芸術座に参加したが、1914年(大正3年)に脱退。
脱退仲間の秋田雨雀らと新時代劇協会(第二次)を作った。
1915年(大正4年)に早稲田大学を卒業し、上山草人・伊庭孝ら ……

澤田正二郎が亡くなってから、95年と262日が経過しました。(34961日)