額田六福(ぬかだろっぷく)
劇作家[日本]
1948年 12月21日 死去呼吸不全享年59歳
額田 六福(ぬかだ ろっぷく、明治23年(1890年)10月2日 - 昭和23年(1948年)12月21日)は、日本の劇作家・大衆小説作家。
岡本綺堂の高弟。
翻訳家、額田やえ子の父。
生涯=
岡山県勝南郡勝田村(現在の勝田郡勝央町)に生まれた。
本来の名前はむつとみ。
5男2女の末子であった。
勝間田尋常小学校のとき父を亡くしたが、家は豊かであった。
勝南高等小学校を経て、明治37年(1904年)、津山中学へ進んだが、校則に触れ、京都市の立命館中学へ転じた。
明治41年(1908年)17歳のとき、結核性関節炎になり、翌年右腕切断の手術を受けた。
脊髄カリエスも病んだ。
明治44年の「演藝画報」誌の懸賞に、勝間田町から『踏絵』を応募して落選したが、その選者岡本綺堂に、入門を願って快諾を得、原稿を送り添削を受け推敲を重ねるという、通信指導を受けた。
大正3年(1914年)から、俳句や小説を、雑誌や新聞へ投稿するようになった。
大正5年(1916年)26歳のとき、上京し、綺堂の世話も受けて下宿生活を始め、早稲田大学文学部英文科に編入入学した。
この年「新演芸」誌の懸賞に、『出陣』が坪内逍遙の評価を得て当選し、大正6年正月の歌舞伎座で上演された。
また、同4月新富座で旗揚げした沢田正二郎の新国劇に、『暴風雨のあと』が取り上げられるなど、作家生活への道が開けた。
さかんに書き、当選もした。
大正8年(1919年)『小梶丸』を新国劇が演じて当て、沢田正二郎と ……
額田六福が亡くなってから、75年と335日が経過しました。(27729日)