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衣笠貞之助 氏(きぬがさていのすけ)

映画監督俳優脚本家[日本]

1982年 2月26日 死去脳血栓享年87歳

衣笠貞之助 - ウィキペディアより引用

衣笠 貞之助(きぬがさ ていのすけ、1896年1月1日 - 1982年2月26日)は、日本の俳優、映画監督、脚本家。
本名:小亀 貞之助(こかめ ていのすけ)。
新派劇団を経て日活向島撮影所で女形スターとして活躍後、牧野省三の下で映画監督へ転身した。
新感覚派の作家と組んで前衛映画『狂つた一頁』を製作後、松竹・東宝・大映で長谷川一夫とコンビを組んで多くの時代劇映画を製作した。
江戸や明治の情緒を新派劇の素養であでやかに描き出すことにかけては第一人者だった。
1953年(昭和28年)公開の『地獄門』は、第7回カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞。
上記以外の主な作品に『十字路』『雪之丞変化』など。
妻は女優の千早晶子、弟は映画監督の衣笠十四三。
来歴・人物= 女形俳優から映画監督へ= 1910年代 1896年(明治29年)1月1日、三重県亀山町大字東町(現在の亀山市本町)に、煙草元売捌業の父・小亀定助と母・かめのの4男として生まれる。
長兄の衡一は後に三重県会議員を3期務めながら、第7代亀山町長を務めている。
幼い頃から芝居好きの母親に連れられて歌舞伎、新派、曾我廼家喜劇などを見るようになった。
1910年(明治43年)、亀山男子尋常高等小学校(現在の亀山市立亀山西小学校)高等科を卒業してから私塾の笹山塾に通い、1914年(大正3年)の修了後に役者を志すも両親に反対され、同年4月に家出をする。
汽車に乗って東京へ向かおうとした途中、大垣駅で停車中に「 ……

衣笠貞之助が亡くなってから、42年と268日が経過しました。(15609日)