松井須磨子(まついすまこ)
新劇女優[日本]
1919年 1月5日 死去自殺享年32歳
松井 須磨子(まつい すまこ、明治19年〈1886年〉3月8日〈戸籍上は11月1日〉 - 大正8年〈1919年〉1月5日)は、日本の新劇女優、歌手。
本名は小林 正子(こばやし まさこ)。
二度の離婚、美容整形とその後遺症に苦しめられながらの名演、島村抱月とのスキャンダル、日本初の歌う女優としてのヒット曲と発禁騒動、そして抱月死後の後追い自殺と、その波乱の短い生涯は多くの小説や映画、テレビドラマとなっている。
生涯=
デビュー前の小林正子
離婚、女優への執念=
長野県埴科郡清野村(現在の長野市松代町清野)に士族小林藤太(旧松代藩士)の五女(九人兄妹の末っ子)、小林正子として生まれる。
数え年6歳の時、上田町の長谷川家の養女となり、1900年に上田の尋常小学校を卒業する。
しかし養父が亡くなったため実家に戻る。
実家に戻った年、実父も亡くなった。
数え年17歳の春に麻布飯倉の菓子屋「風月堂」に嫁いでいた姉を頼って上京した後、戸板裁縫学校(現・戸板女子短期大学)に入学する。
1903年、親戚の世話で千葉県木更津の旅館兼小料理屋・鳥飼万蔵と最初の結婚をするが、病気がちを理由に舅に疎まれ、1年で離婚している。
この結婚で万蔵から性病をうつされ、その病院通いを通じて東京高等師範学校の学生・前沢誠助(1880ー1923)と知り合い再婚、前沢が1908年に東京俳優養成所の講師となったことから女優を志願するようになる。
この頃から平凡な日常から脱却したいと思 ……
松井須磨子が亡くなってから、105年と340日が経過しました。(38691日)