和田勉 氏(わだべん)
演出家、映画監督[日本]
2011年 1月14日 死去食道上皮がん享年82歳
和田 勉(わだ べん、1930年〈昭和5年〉6月3日 - 2011年〈平成23年〉1月14日)は、日本の演出家・映画監督で、NHKディレクター、プロデューサー。
退局後はタレントとしても活動した。
本名は名の読みが「つとむ」。
三重県松阪市出身。
ワダベンカンパニー代表取締役で、生島企画室と業務提携していた。
妻は衣装デザイナーのワダ・エミ(2021年没)。
来歴・人物=
鐘紡勤務だった父親は、転勤が多く、生後半年で松阪から京都府福知山市に移り、小学校就学前に愛知県東春日井郡鷹来村(現・春日井市)(春日井市立鷹来小学校の前身にあたる鷹来尋常高等小学校)、小学校3年生時に福島県信夫郡庭坂村(現・福島市)へ引っ越し、1年半を過ごした。
鹿児島県立鹿屋高等学校から、巣鴨高等学校に転校し、早稲田大学第一文学部演劇学科を卒業。
NHKに入局=
1953年、テレビの試験放送を開始したNHKに入局。
1955年の『うどん屋』(脚本・秋田実、主演ミヤコ蝶々、南都雄二)が最初のドラマ演出で、初めて芸術祭奨励賞をもらった57年の有吉佐和子初のテレビドラマ『石の庭』(主演・久米明、鳳八千代)と59年に安部公房作の2本のテレビドラマ『円盤来たる』『日本の日蝕』の演出において、「大阪に和田あり」と注目されるようになる。
1961年第1回日本放送作家協会賞を受けたのを機に、東京のNHKに移った。
まず、和田は単発ドラマの演出を続け、5年連続で芸術祭ドラマの奨励賞を受賞した。
和田勉さんが亡くなってから、13年と312日が経ちました。(5060日)