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ミヤコ蝶々 氏(みやこちょうちょう)

お笑い芸人、女優[日本]

2000年 10月12日 死去慢性腎不全享年81歳

ミヤコ蝶々 - ウィキペディアより引用

ミヤコ 蝶々(ミヤコ ちょうちょう、女性、1920年〈大正9年〉7月6日 - 2000年〈平成12年〉10月12日)は、日本の女優、漫才師、コメディエンヌ。
本名は日向 鈴子(ひゅうが すずこ)。
東京都中央区日本橋小伝馬町生まれ、兵庫県神戸市出身。
長らく上方漫才・喜劇界をリードし、関西を代表するコメディエンヌであった。
生涯・来歴[編集] 東京府東京市日本橋区小伝馬町(現・東京都中央区日本橋小伝馬町)に生まれたが、鈴子が生まれて間もなく両親が離婚し、1924年(大正13年)に父親と兵庫県神戸市へ移住して父親はデパートで家具の販売をしながら神戸・元町で小さな家具屋を営んだ。
父は芸事が好きで、新内節を唄ったり寄席芸人を招いては宴を楽しんでいた。
1927年(昭和2年)、父親は家具屋をたたみ、思いつきで芝居一座を結成し、娘の鈴子を座長とした。
九州の炭坑町の小さな劇場で安来節を唄い、初舞台を踏む。
その後、様々な芸(漫才、喜劇、女剣舞、バレエ、三味線など)を身に付ける。
1942年(昭和17年)に吉本興業に入り一座を解散し、三遊亭柳枝と結婚した。
終戦後は柳枝劇団を旗揚げするが、柳枝の浮気が元で離婚した。
初代ミスワカナの死後、一時期二代目ワカナを名乗る。
1947年に弟子だった鈴夫(本名・吉村朝治、のちの南都雄二)と再婚(事実婚だったという)し、JR美章園駅近く(大阪市東住吉区)のガード下の部屋を借り、夫婦生活を始めた。
1948年( ……

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ミヤコ蝶々さんが亡くなってから、23年と288日が経ちました。(8689日)