夢路いとし 氏(ゆめじいとし)
漫才師[日本]
2003年 9月25日 死去肺炎享年79歳
夢路 いとし(ゆめじ いとし、1925年〈大正14年〉3月27日 - 2003年〈平成15年〉9月25日)は、日本の漫才師。
実弟である相方・喜味こいしとの漫才コンビ「夢路いとし・喜味こいし」で上方演芸界にその名で知られる。
本名は篠原 博信(しのはら ひろのぶ)。
来歴・生涯=
神奈川県横浜市鶴見区出身。
上方漫才界を代表する人物であるのに横浜出身とされているのは、一家が旅回りの芸人一家であったため、たまたま横浜で生を受けたという事情によるものである。
横浜以外にも、全国津々浦々の地を少年時代からまわっていた。
1937年に上方漫才の荒川芳丸に入門。
1940年に吉本興業からデビュー、当時のコンビ名は「荒川芳博・芳坊」(「夢路いとし・喜味こいし」に改名する前に一時父親の姓「山田」を使い「山田博・勲」を名乗っていた。
“篠原”は母親の姓)。
それからは全国各地にあった吉本が運営する寄席(ミナミの南陽館など)で稽古を積む。
戦後、秋田實が主宰する宝塚新芸座に参加。
1948年に「夢路いとし・喜味こいし」(当初は「夢路いと志・喜味こい志」)に改名。
その後は上方演芸から東宝芸能関西(のち、大宝芸能から大宝企画に改称)に所属。
道頓堀角座、梅田トップホットシアター、演芸の浪花座に定期的に出演していた。
上方漫才の第一人者として50年余の長きに渡り第一線で活躍。
二人の漫才は後輩芸人たちにとっても色々な意味で鑑であり、「老境に入 ……
夢路いとしさんが亡くなってから、21年と58日が経ちました。(7728日)