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楠木正虎(くすのきまさとら)

書家[日本]

(慶長元年1月11日歿)

1596年 2月9日 死去享年77歳

楠木 正虎(くすのき まさとら)は、戦国時代から安土桃山時代の武士、世尊寺流の書道家。
法名は長譜(ちょうあん)と名乗った。
式部卿法印、従四位上・河内守。
子に楠木正辰。
足利義輝、松永久秀、織田信長、豊臣秀吉に仕えた。
生涯= 大饗氏の出。
生国は備前。
のち、伊勢国神戸(現在の三重県鈴鹿市神戸)に住したという(『梶川系図』)。
大饗氏の名は楠木一族の和田氏の本貫地であった河内国の大饗(現堺市美原区)に由来するという。
はじめは通称を大饗長左衛門(甚四郎)。
『尊卑分脈』所収『橘氏系図』によれば、楠木正成の孫・楠木正秀の子という河内大饗氏の大饗正盛の子孫・大饗隆成の子。
京都の烏丸に邸宅を持っていたようで、子の正辰の妻に山科言経の妻の妹を迎えるなど、公家社会とも関係を有していた。
織田家、豊臣家の右筆(書記官)を担当した。
正虎は、書を飯尾常房に学んだといわれる(飯尾常房は文明17年(1485年)に没しているので、実際にはその弟子筋の人物に学んだと推測される)。
世尊寺流の当代一流の書家であった。
天文22年(1553年)までに、正虎は松永久秀に仕えたようで、その年に信貴山朝護孫子寺に参詣し、先祖の楠木正成の供養と自身の武運長久を祈願している。
また、松永家内で奉行人としても活躍し、清水寺が久秀に禁制を求めた際、その取次を行った。
正虎は楠木正成の子孫と称したが、正成ら楠木氏が朝敵 ……

楠木正虎が亡くなってから、429年と265日が経過しました。(156957日)