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楠木正成(くすのきまさしげ)

武将[日本]

(建武3年5月25日没)

(ユリウス暦) 1336年 7月4日 死去戦死

楠木正成 - ウィキペディアより引用

楠木 正成(くすのき まさしげ、旧字体:楠木 正成󠄁)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将。
出自は諸説あり。
自称は橘氏後裔。
息子に正行、正時、正儀。
元弘の乱(1331年 - 1333年)で後醍醐天皇を奉じ、大塔宮護良親王と連携して、千早城の戦いで大規模な幕軍を千早城に引きつけて日本全土で反乱を誘発させることによって、鎌倉幕府打倒に貢献した。
また、建武の新政下で、最高政務機関である記録所の寄人に任じられ、足利尊氏らとともに天皇を助けた。
延元の乱での尊氏反抗後は、新田義貞、北畠顕家とともに南朝側の軍の一翼を担ったが、湊川の戦いで尊氏の軍に敗れて自害した。
建武の元勲の1人。
明治以降は「大楠公(だいなんこう)」と称され、明治13年(1880年)には正一位を追贈された。
また、湊川神社の主祭神となった。

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