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井上哲次郎(いのうえてつじろう)

哲学者[日本]

1944年 12月7日 死去享年89歳

井上哲次郎 - ウィキペディアより引用

井上 哲次郎(いのうえ てつじろう、1856年2月1日(安政2年12月25日) - 1944年(昭和19年)12月7日)は、明治時代の日本の哲学者・詩人。
号は巽軒(そんけん)。
通称「井の哲(イノテツ)」。
西洋哲学を日本に紹介し、東京大学で日本人初の哲学の教授となった。
また東洋哲学研究の開拓者でもあり、保守派・体制派のイデオローグでもあり、新体詩運動の先駆者でもある。
大東文化学院第2代総長、貴族院議員なども務めた。
生涯= 旧姓・船越。
筑前太宰府(現在の福岡県太宰府市)に医師船越俊達の三男として生まれる。
少年時代、地元の儒者に四書五経を学ぶ。
明治元年、博多に出て英語を学び、1871年に長崎の英学塾広運館に入学。
1875年、東京開成学校に入学。
1877年、東京大学に入学、哲学及び政治学を専攻。
フェノロサ、中村正直、横山由清、原坦山らに学ぶ。
1880年、卒業(生徒総代として答辞を述べた)。
文部省御用掛になり、「東洋哲学史」を編纂し始める。
1882年東京大学助教授。
同年外山正一、矢田部良吉と『新体詩抄』を刊行。
1884年ドイツに留学(ハイデルベルク大学及びライプツィヒ大学、ベルリン大学)。
テーヌ、ルナン、スペンサー、ミュラーらを訪問し、とくにフィッシャー、エルトマン、ヴント、ツェラーに学ぶ。
1890年帰国、帝国大学文学部哲学科教授。
1891年博士授与(森林太郎、北里柴三郎、仙石貢などを含め総員69名)。
1895年、東 ……

井上哲次郎が亡くなってから、79年と349日が経過しました。(29204日)

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