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ガイウス・プリニウス・セクンドゥスGaius Plinius Secundus

博物学者政治家[ローマ帝国]

(ユリウス暦) 0079年 8月24日 死去享年57歳

ガイウス・プリニウス・セクンドゥス - ウィキペディアより引用

ガイウス・プリニウス・セクンドゥス(Gaius Plinius Secundus、23年 - 79年8月または10月25日頃(推定))は、古代ローマの博物学者、政治家、軍人。
ローマ帝国の属州総督を歴任する傍ら、自然界を網羅する百科全書『博物誌』を著した。
一般には大プリニウス(羅:Plinius Maior)と呼ばれる。
甥に、文人で政治家のガイウス・プリニウス・カエキリウス・セクンドゥス(小プリニウス)がおり、養子としている。
生涯= 北イタリアのコムム(現在のコモ)生まれ。
プリニウスは思想的にはストア派で、論理と自然哲学と倫理学を信奉していた。
ストア派の第一の目的は、自然法則にしたがって徳の高い生き方をすることであり、自然界の理解が必要であった。
甥の小プリニウスによると、プリニウスは夜明け前から仕事をはじめ、勉強している時間以外はすべて無駄な時間と考え、読書をやめるのは浴槽に入っている時間だけだったという。
23歳のころ軍隊にはいり、ゲルマニア遠征に従軍した。
50年代にローマにもどり法学を学んだが、弁論家としては成功せず、学問研究と著作に専念した。
70年ごろから72年にかけて、ヒスパニア・タラコネンシス(スペイン北部)に皇帝代官として赴任した。
このときに現在では世界遺産にもなっているラス・メドゥラスの採鉱作業にも接している。
最後はイタリアに戻って、直接ウェスパシアヌス帝に仕える要職に就いた。
この仕事は一日の大半を自由に使えた ……

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