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足利尊氏(あしかがたかうじ)

武将、室町幕府初代将軍[日本]

(正平13年4月30日没)

(ユリウス暦) 1358年 6月7日 死去背中の腫瘍享年54歳

足利尊氏 - ウィキペディアより引用

足利 尊氏(あしかが たかうじ)は、鎌倉時代末期から室町時代(南北朝時代)前期の日本の武将。
室町幕府初代征夷大将軍(在職:1338年 - 1358年)。
鎌倉幕府の御家人。
足利貞氏の次男。
足利将軍家の祖。
姓名は源 尊氏(みなもと の たかうじ)。
正式名称は足利又太郎源尊氏(あしかがまたたろうみなもとのたかうじ)。
概要= 河内源氏義国流足利氏本宗家の8代目棟梁。
足利貞氏の次男として生まれる。
歴代当主の慣例に従い、初めは得宗・北条高時の偏諱を受け高氏「たかうじ」(源高氏)と名乗っていた。
佐々木道誉も同時期に同様にして名乗った佐々木高氏(源高氏)と本姓(源氏)名前ともに同姓同名。
共に鎌倉幕府を打倒した新田義貞は同族である。
正慶2年(1333年)に後醍醐天皇が伯耆国船上山で挙兵した際、その鎮圧のため幕府軍を率いて上洛したが、丹波国篠村八幡宮で幕府への反乱を宣言、六波羅探題を滅ぼした。
幕府滅亡の勲功第一とされ、後醍醐天皇の諱・尊治(たかはる)の偏諱を受け、高氏の名を尊氏(たかうじ)に改める。
鎌倉時代の足利宗家当主の通字は「氏」であったため、室町幕府の将軍15人の中で唯一「義」の字が諱に使われていない。
後醍醐天皇の新体制である建武の新政下で、持明院統に近く冷遇されていた貴族西園寺公宗と北条高時の弟泰家の反乱計画発覚など政情不安が続く中、鎌倉方の残党北条時行が起こした中先代の乱により窮地 ……

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