佐々木道誉(ささきどうよ)
武将、バサラ大名[日本]
(応安6年8月25日没)
(ユリウス暦) 1373年 9月12日 死去享年78歳
佐々木 道誉(ささき どうよ)、佐々木 高氏(ささき たかうじ)、京極 道誉(きょうごく どうよ)、京極 高氏(きょうごく たかうじ)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将、守護大名。
若狭・近江・出雲・上総・飛騨・摂津守護。
概要=
鎌倉幕府創設の功臣で近江を本拠地とする佐々木氏一族の京極氏に生まれたことから、京極 導誉(道誉)(きょうごく どうよ)または 京極 高氏(きょうごく たかうじ)とも呼ばれる。
諱(実名)は高氏(たかうじ)であったが、法名の道誉の方がよく知られている。
また法名は自署では「導誉」としているが、同時代の文書には「入道々誉(入道道誉)」と記されたものが多い。
初めは執権・北条高時に御相伴衆として仕えるが、のちに後醍醐天皇の綸旨を受け鎌倉幕府を倒すべく兵を挙げた足利尊氏に従い、武士の支持を得られなかった後醍醐天皇の建武の新政から尊氏と共に離れ、尊氏の開いた室町幕府において政所執事や6カ国の守護を兼ねた。
また、ばさらと呼ばれる南北朝時代の美意識を持つ婆娑羅大名として知られ、『太平記』には謀を廻らし権威を嘲笑し粋に振舞う導誉の逸話を多く記している。
偏諱について=
初めの主君である北条氏得宗家当主(鎌倉幕府第14代執権)の北条高時より1字を受けて名乗った名前であり、同様にして名乗った足利高氏(後の足利尊氏)と同名である。
生涯=
御相伴衆=
永仁4年(1296年)、近江の地頭である ……