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崇光天皇(すこうてんのう)

北朝第3代天皇[日本]

(応永5年1月13日崩御)

(ユリウス暦) 1398年 1月31日 死去享年65歳

崇光天皇 - ウィキペディアより引用

崇光天皇(すこうてんのう、1334年5月25日〈建武元年4月22日〉 - 1398年1月31日〈応永5年1月13日〉)は、日本の北朝第3代天皇(在位:1348年11月18日〈貞和4年10月27日〉 - 1351年11月26日〈観応2年11月7日〉)。
諱は益仁(ますひと)、後に興仁(おきひと)。
概要= 光厳天皇の第一皇子。
母は正親町三条公秀の女の正親町三条秀子。
光明天皇の譲位を受けて践祚。
在位中には観応の擾乱が激化し、南朝と足利尊氏の和平である正平一統が成立すると、南朝の後村上天皇によって廃位された。
さらに、正平一統が破綻すると、光厳上皇・光明上皇・直仁親王とともに、南朝によって拉致された。
拉致に伴い急遽践祚した弟の後光厳天皇との間で、期間後に皇位を巡って争いがおこるが敗れ、光厳法皇から継承した伏見荘に逼塞した。
これを機に北朝内部の皇統は二つに割れ、後光厳天皇の血統が皇位を継承する一方、崇光天皇の血統は伏見宮を名乗る。
崇光天皇の歿後、称光天皇の崩御によって後光厳皇統が途絶えると、伏見宮家から彦仁王が践祚(後花園天皇)。
以降はこの皇統が皇位を独占している。
また、伏見宮も貞常親王(後花園天皇の弟)の皇統で伝えられ、明治以降に数多くの宮家が分流(伏見宮系皇族、いわゆる旧皇族)したことから、崇光天皇は現在の皇室と旧皇族の男系での共通祖先の天皇にあたる。
略歴= 建武元年4月22日(1334年5月25日/グレゴリオ暦6月2日)、光厳天皇の第一皇子とし ……

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