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後花園天皇(ごはなぞのてんのう)

第102代天皇[日本]

(文明2年12月27日崩御)

(ユリウス暦) 1471年 1月18日 死去中風享年52歳

後花園天皇 - ウィキペディアより引用

後花園天皇(ごはなぞのてんのう、1419年7月10日〈応永26年6月18日〉- 1471年1月18日〈文明2年12月27日〉)は、日本の第102代天皇(在位:1428年9月7日〈正長元年7月28日〉- 1464年8月21日〈寛正5年7月19日〉)。
諱は彦仁(ひこひと)。
伏見宮貞成親王(後崇光院。
崇光天皇の孫)の第一王子。
母は庭田経有の女の庭田幸子(敷政門院)。
践祚前の正長元年7月17日(1428年8月27日)に後小松天皇の猶子となる。
本来は皇統を継ぐ立場にはなかったが、傍系で三従兄弟にあたる称光天皇が嗣子を残さず崩御したため、皇位を継いだ。
先帝とは8親等以上離れた続柄での皇位継承は53代(称徳天皇→光仁天皇)以来658年ぶりであり、かつ南北朝合一時の「明徳の和約」(皇位は両統迭立とする)にも反するため、旧南朝勢力の激しい反発を招き、以後、約60年にわたって南朝復興運動(いわゆる「後南朝」)が繰り広げられる引き金になった。
生涯= 応永26年(1419年)6月18日、貞成親王の第一王子として生まれた。
応永29年(1422年)以降、先代の称光天皇は幾度か危篤状態に陥るなど病弱で皇子がなく、称光の同母弟で皇儲に擬せられていた小川宮も応永32年(1425年)に早世したため、その父で院政を敷いていた後小松上皇は、早急に皇嗣を決定する必要に迫られた。
正長元年(1428年)、称光天皇が危篤に陥ると、両統迭立を要求する後南朝勢力がにわかに活動の気配を見せたため、室町幕府将軍に就任することになっ ……

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