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後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)

第103代天皇[日本]

(明応9年9月28日崩御)

(ユリウス暦) 1500年 10月21日 死去享年58歳

後土御門天皇 - ウィキペディアより引用

後土御門天皇(ごつちみかどてんのう、1442年7月3日〈嘉吉2年5月25日〉- 1500年10月21日〈明応9年9月28日〉)は、日本の第103代天皇(在位:1464年8月21日〈寛正5年7月19日〉- 1500年10月21日〈明応9年9月28日〉)。
諱は成仁(ふさひと)。
後花園天皇の第一皇子。
生母は藤原孝長の女で大炊御門信宗の猶子の大炊御門信子(嘉楽門院)。
生涯= 生母である伊与局の出身身分が低く、当初は将来は出家させるつもりで父である後花園天皇の実家である伏見宮家にて育てられていたが、後花園天皇に他の男子が生まれなかったために、生母を公卿である大炊御門家の養女ということにして、皇位継承者として定められた。
康正元年(1455)、14才になると侍読に中原康富が付き学問を学んだ。
他に吉田兼倶、一条兼良、清原宗賢らから和漢の講義をたびたび受けた。
長禄元年(1457年)12月19日に親王宣下、寛正5年(1464年)7月19日に後花園天皇の譲位を受けて践祚(即位日は、寛正6年(1465年)12月27日)。
文明2年(1470年)まで後花園上皇による院政が行われた。
践祚後ほどなく応仁の乱が起き、寺社や公卿の館は焼け、朝廷の財源は枯渇して朝廷は衰微した。
また、天皇自らも「赤疹(おそらく、当時の京で流行していた麻疹)」にかかるなど、災難に見舞われた。
乱を避けるため、足利義政の室町第に10年の間避難生活を強いられた。
避難生活中には、義政正室の日野富子に仕える上臈の花山院兼子と密通して ……

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