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土御門天皇(つちみかどてんのう)

第83代天皇[日本]

(寛喜3年10月11日崩御)

(ユリウス暦) 1231年 11月6日 死去

土御門天皇 - ウィキペディアより引用

土御門天皇(つちみかどてんのう、1195年12月4日または1196年1月3日〈建久6年11月1日または12月2日〉- 1231年11月6日〈寛喜3年10月11日〉)は、日本の第83代天皇(在位:1198年2月18日〈建久9年1月11日〉- 1210年12月12日〈承元4年11月25日〉)。
諱は為仁(ためひと)。
後鳥羽天皇の第一皇子。
母は、源通親の養女(法勝寺執行法印能円の女)承明門院・源在子。
承久の乱によって、自ら望んで土佐国(後に阿波国)へ配流された。
略歴[編集] 建久9年1月11日(1198年2月18日)、父・後鳥羽天皇の譲位により3歳で践祚。
立太子はしていなかった。
同年3月3日(4月10日)、即位。
事実上後鳥羽上皇による院政がしかれていた。
しかし、穏和な性格が幕府との関係上心許ないと見た後鳥羽上皇は、退位を迫り、承元4年11月25日(1210年12月12日)、異母弟の順徳天皇に譲位し、同年12月5日(12月22日)、上皇となる。
京都では、外祖父である源通親が別当として権力を掌握し、鎌倉では正治元年1月13日(1199年2月9日)に源頼朝が亡くなり、事実上北条時政による御家人政治が行われていた。
承久3年(1221年)の承久の乱のおりには、土御門上皇は何も関与していなかったので処罰の対象にはならなかったが、父である後鳥羽院が遠流であるのに自分が京にいるのは忍びないと、自ら申し出て土佐国に流された。
後に、より都に近い阿波国に移された。
鎌倉幕府も後鳥羽・順徳両上皇とは違って、守護に対して阿波の宮殿 ……

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