細川勝元(ほそかわかつもと)
守護大名、室町幕府管領[日本]
(応仁の乱の東軍総大将、文明5年5月11日没)
(ユリウス暦) 1473年 6月6日 死去享年44歳
細川 勝元(ほそかわ かつもと)は、室町時代中期の武将・守護大名。
室町幕府16・18・21代管領。
土佐国・讃岐国・丹波国・摂津国・伊予国守護。
細川氏宗家(京兆家)11代当主。
足利一門の三管領として並ぶ斯波氏(武衛家)・畠山氏(金吾家)と競り合いつつ室町幕府に重きをなし、将軍を補佐して幕政を統括した。
幕府が二分して争われた応仁の乱で、東軍総大将として西軍総大将の山名宗全と対立したことで知られている。
生涯=
家督・管領相続=
永享2年(1430年)、14代室町幕府管領・細川持之の嫡男として誕生。
幼名は聡明丸。
嘉吉2年(1442年)8月、父が死去したため、13歳で家督を継承した。
この時に7代将軍足利義勝から偏諱を受けて勝元と名乗り、叔父の細川持賢に後見されて摂津・丹波・讃岐・土佐の守護となった。
文安2年(1445年)、畠山持国(徳本)に代わって16歳で管領に就任すると、以後3度に渡って通算23年間も管領職を歴任し、幕政に影響力を及ぼし続けた。
勝元が管領に就任していたのは、文安2年から宝徳元年(1449年)、享徳元年(1452年)から寛正5年(1464年)、応仁2年(1468年)7月から死去する文明5年(1473年)5月までである。
勢力争い=