霊元天皇(れいげんてんのう)
第112代天皇[日本]
(享保17年8月6日崩御)
1732年 9月24日 死去享年78歳
霊元天皇(れいげんてんのう、1654年7月9日〈承応3年5月25日〉- 1732年9月24日〈享保17年8月6日〉)は、日本の第112代天皇(在位: 1663年3月5日〈寛文3年1月26日〉- 1687年5月2日〈貞享4年3月21日〉)。
諱は識仁(さとひと)。
称号は高貴宮(あてのみや)。
旧皇族11宮家全ての最近共通祖先である伏見宮邦家親王は来孫にあたる。
「現在の皇室」(うち今上天皇・明仁上皇及び生まれながらの皇族)と、1947年(昭和22年)に皇籍離脱した「旧皇族(生まれながらの皇族でない親王妃・王妃を除く)及びその子孫」の、男系女系を問わない場合の最も近い共通祖先である。
後水尾天皇の第十九皇子。
母は内大臣園基音の女で後水尾典侍の藤原国子(新広義門院)。
養母は父帝の中宮徳川和子(東福門院)。
譲位後の期間が長いため、仙洞様(せんとうさま)とよばれることが多い。
歌人・能書家でもある。
絵を能くし、作品が複数現存している。
生涯=
儲君=
承応3年(1654年)9月、長兄の後光明天皇の崩御以前にその養嗣子に入り、儲君となる。
当時、後光明天皇が余りにも急な死に方をしたために毒殺と噂され、天皇による高貴宮(後の霊元天皇)の養子縁組の意思表示の有無が疑問とされたが、後光明天皇の側近(勧修寺経広・三条西実教・持明院基定)は天皇が高貴宮の誕生直後より万一に備えて縁組の意向を表明していたと主張している(『宣順公記』承応3年10月17日条)。
また、高貴宮の生母 ……
霊元天皇が亡くなってから、292年と56日が経過しました。(106709日)