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足利義満(あしかがよしみつ)

室町幕府第3代将軍[日本]

(応永15年5月6日没)

(ユリウス暦) 1408年 5月31日 死去享年51歳

足利義満 - ウィキペディアより引用

足利 義満(あしかが よしみつ)は、室町時代前期の室町幕府第3代征夷大将軍。
将軍職を辞した後、清和源氏で初の太政大臣。
父は第2代将軍・足利義詮、母は側室・紀良子。
祖父に足利尊氏。
正式な姓名は源 義満(みなもと の よしみつ)。
室町幕府第2代征夷大将軍・足利義詮の長男で足利満詮の同母兄にあたる。
南北朝合一を果たし、有力守護大名の勢力を抑えて幕府権力を確立させ、鹿苑寺(金閣)を建立して北山文化を開花させるなど、室町時代の政治・経済・文化の最盛期を築いた。
邸宅を北小路室町へ移したことにより義満は「室町殿」とも呼ばれた。
後代には「室町殿」は足利将軍家当主の呼称となった。
歴史用語の「室町幕府」や「室町時代」もこれに由来する。
生涯= 幼少期= 延文3年(1358年)8月22日、義満は2代将軍・足利義詮の子として京都春日東洞院にある幕府政所執事の伊勢貞継の屋敷で生まれた。
祖父である尊氏の死からちょうど100日目のことである。
母の紀良子は石清水神官善法寺通清の娘で、母を通じて順徳天皇の玄孫でもあった。
幼名は春王と名付けられた。
春王は長男ではなかったが、義詮と正室の渋川幸子との間に生まれていた千寿王は夭折しており、その後、幸子との間に子はなく、義満誕生の前年にも義詮と紀良子の間には男子(名前不明)が生まれていたが、義満は嫡男として扱われた。
幼児期は伊勢邸で養育された。
春王が幼少の頃の ……

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