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護良親王(もりよししんのう)

後醍醐天皇の皇子、天台座主[日本]

(建武2年7月23日没)

(ユリウス暦) 1335年 8月12日 死去暗殺

護良親王 - ウィキペディアより引用

護良親王(もりよししんのう)は、鎌倉時代末期から建武の新政期の皇族・僧侶・武将・天台座主・征夷大将軍。
還俗前の名は尊雲法親王(そんうんほっしんのう)、通称を大塔宮(正式には「おおとうのみや」/俗に「だいとうのみや」)とも。
一般に後醍醐天皇の第三皇子とされるが、一宮(第一皇子)という説もある。
母は民部卿三位で、北畠師親の娘の資子という説と、勘解由小路経光(広橋経光)の娘の経子という説がある。
尊珍法親王の異父弟。
興良親王の父。
元弘の乱で鎌倉幕府を打倒することに主たる功績を挙げ、建武の新政では征夷大将軍に補任。
しかし、尊氏を疎む護良は、武士好きで足利尊氏を寵愛した父とはすれ違いが多く、将軍を解任され、やがて政治的地位も失脚、鎌倉に幽閉される。
のち、中先代の乱の混乱の中で、足利直義の命を受けた淵辺義博によって殺害された。
鎌倉宮の主祭神。

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