トマス・モアThomas More
思想家[イギリス]
(ユリウス暦) 1535年 7月6日 死去享年58歳
トマス・モア(英語: Thomas More, 1478年2月7日 - 1535年7月6日)は、イングランドの法律家、思想家、人文主義者。
政治・社会を風刺した『ユートピア』の著述で知られる。
大法官までのぼりつめたがヘンリー8世により反逆罪で処刑された。
没後400年の1935年にカトリック教会と聖公会で聖人となる。
生涯=
ロンドンの法律家の家に生まれた。
聖アントニー校で学んだ後、カンタベリー大司教・大法官のジョン・モートンの家で従僕として教育を受け、1492年からオックスフォード大学で2年間ラテン語を学んだが中退し、1494年にニュー法学院へ入学、1496年からは、政界への近道であり人文主義教育の中心でもあったリンカーン法曹院で学び、1501年に法廷弁護士の資格を得る。
1504年、下院議員選出。
1510年にイタリアの人文主義者ピコ・デラ・ミランドラの伝記『ピコ伝』を、1516年には『ユートピア』を上梓するなど、著述活動も盛んになる。
1515年からイングランド王ヘンリー8世に仕え、ネーデルラント使節などを務めた。
ヘンリー8世の信任は厚く、地位は次第に進み、1521年にはナイトの爵位を授けられ、1529年、官僚で最高位の大法官に就任した。
離婚問題を巡ってヘンリー8世がローマ教皇クレメンス7世と反目し、ヘンリー8世はモアに助言を求めた。
3年間で6名の異端者を処刑するほどの熱心なカトリック信徒であるモアは王に対し、離婚を正当化するいかなる根拠も無いことを告げた。
一方、 ……