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鹿津部真顔(しかつべのまがお)

狂歌師、戯作者[日本]

1829年 7月6日 死去享年77歳

鹿津部 真顔(しかつべの まがお、1753年(宝暦3年) - 1829年7月6日(文政12年6月6日))は、江戸時代後期の狂歌師・戯作者。
鹿都部真顔とも書く。
通称は北川嘉兵衛、号に紀真顔・狂歌堂・鹿杖山人・俳諧歌場・万葉亭・四方歌垣・四方真顔・好屋翁・恋川好町など。
略歴= 1781年(天明元年)洒落本『袖かがみ』に初めて名前が見え、黄表紙や洒落本などを天明年間に刊行する。
1782年(天明2年)に狂歌界へ入り、師は元木網で、1784年(天明4年)頃に大田南畝門下となり、算木有政や銭屋金埒らと「スキヤ連」を結成した。
やがて、宿屋飯盛・頭光・金埒らと狂歌四天王と称された。
1794年(寛政6年)南畝から「四方姓」を譲られ、飯盛と化成期の狂歌界を二分した。
真顔は天明狂歌が奔放無軌道に陥ったことを是正しようと、鎌倉室町期の狂歌を本来の姿であるとする「俳諧歌」を提唱したが、一般からは親しまれず、結果として狂歌の衰退をもたらした。
晩年は家庭的にも恵まれず、貧窮のうちに没した。

鹿津部真顔が亡くなってから、195年と137日が経過しました。(71361日)