網野善彦 氏(あみのよしひこ)
歴史学者・中世日本史[日本]
2004年 2月27日 死去享年77歳
網野 善彦(あみの よしひこ、1928年〈昭和3年〉1月22日 - 2004年〈平成16年〉2月27日)は、日本の歴史学者。
専攻は日本中世史。
生涯=
江戸時代から続く地主網野家の当主・勝丸の末男として山梨県東八代郡御坂町(現在の笛吹市御坂町)に生まれる。
曾祖父の網野善右衛門は実業家で、山梨中央銀行の前身のひとつである網野銀行の創業者である。
実父の勝丸は甲州市塩山の旧家出身で代議士も務めていた広瀬久政の次男として生まれ、網野家へ養子に入った人物。
久政長男の広瀬久忠は善彦の叔父にあたり、久政も右派政治家で戦前には山梨県初の大臣(厚生大臣)を務め、戦後には参議院議員となった。
久政三男の名取忠彦も戦前は山梨県翼賛会壮士団長で、戦後は山梨中央銀行の頭取として山梨県政財界で影響力を持っていた人物で、善彦の幼少期にはこうした右派的政治環境があったことが指摘されている。
幼少期に東京市麻布区桜田町(東京都港区西麻布)へ移住。
白金小学校卒業後、1940年(昭和15年)、旧制東京高等学校尋常科(現:東京大学教育学部附属中等教育学校)入学。
このころの友人に氏家齊一郎や城塚登や増田義郎がいる。
旧制東京高等学校高等科文科卒業後、1947年(昭和22年)、東京大学文学部国史学科入学。
学生時代は石母田正に私淑(網野善彦著作集より)。
またこのころ日本共産党に入党し、山村工作隊の指揮や階級闘争による国民的歴史学運動に携わる。
……
網野善彦さんが亡くなってから、20年と268日が経ちました。(7573日)