小沢昭一 氏(おざわしょういち)
俳優[日本]
2012年 12月10日 死去享年84歳
小沢 昭一(おざわ しょういち、本名:小澤 昭一(読み同じ)、1929年(昭和4年)4月6日 - 2012年(平成24年)12月10日)は、日本の俳優、タレント、俳人、漫談師、エッセイスト、芸能研究者。
放送大学客員教授、日本新劇俳優協会会長、劇団「しゃぼん玉座」主宰、見世物学会顧問を務めた。
俳号は小沢 変哲。
来歴・人物=
東京府豊多摩郡和田堀町大字和泉(現:東京都杉並区和泉)生まれ。
父は現在の長野県長野市の出身で、新潟県高田市(現:上越市)で写真屋修行時代に結婚し東京に出てきた。
昭一2歳の頃、父親が写真館を始めたため日暮里へ引っ越し、4歳のときに蒲田に移り住む。
当時の蒲田は、松竹映画の撮影所があるモダンな街で、また寄席もあり、その猥雑な雰囲気が小沢の後の活動に影響を与えた。
戦争の匂いが身近に迫る中、旧制麻布中学に入学し、同級に大西信行、加藤武、フランキー堺、仲谷昇、なだいなだ等多くの友人を得る。
軍事教練や、学徒動員先でも天狗連として彼らと、しばしば落語を披露し合っていた。
通学帰り、ネタを増やしに、大西、加藤らと、学生服姿で人形町末廣、神楽坂演芸場、銀座金春亭など禁演落語の時節真っ只中の寄席に入り浸り、そこで出会った演芸評論家・作家の正岡容の知遇を得て弟子になる。
桂米朝、大西、加藤らとは正岡門下の兄弟弟子の関係である。
さらに大西、加藤らと麻布中で演劇部を立ち上げた。
その後、江田島の海軍 ……
ラジオ番組や一人芝居の軽妙洒脱(しゃだつ)な語り口で親しまれた俳優でエッセイストの小沢昭一(おざわ・しょういち)さんが10日午前1時20分、東京都内の自宅で死去した。83歳だった。東京都出身。葬儀は15日午前11時から東京都新宿区南元町19の2の千日谷会堂で。喪主は妻英子(えいこ)さん。 早大在学中に俳優座養成所に入所。その後映画界に進出し、「幕末太陽傳」「にあんちゃん」「豚と軍艦」などに出演、個性派として存在感を発揮した。1975年に劇団「芸能座」を旗揚げ。80年代には1人だけの劇団「しゃぼん玉座」を主宰し、故井上ひさしさんの作品を一人芝居で演じるなど、演劇活動に熱心に取り組んだ。「唐来参和(とうらいさんな)」の上演回数は660回に上った。 73年にTBSラジオで放送がスタートした「小沢昭一の小沢昭一的こころ」は、味のある語りが人気を呼び、放送が現在まで続く人気番組に。俳優、タレント活動の傍ら、芸能史研究にも力を入れ、「日本の放浪芸」「ものがたり芸能と社会」などを著した。 94年紫綬褒章。長年、前立腺がんを患い、治療を続けていた。最近は症状が悪化し、ラジオ出演を見合わせていた。
小沢昭一さんが亡くなってから、11年と346日が経ちました。(4364日)