一条さゆり 氏(いちじょうさゆり)
ストリッパー、ポルノ女優・初代[日本]
1997年 8月3日 死去肝硬変享年69歳
一条 さゆり(初代)(いちじょう さゆり、1929(27?)年6月10日 - 1997年8月3日)は日本のストリッパー、ポルノ女優。
本名は池田和子。
埼玉県川口市出身。
1960 - 70年代にかけて一世を風靡した。
経歴=
金物職人の父親とその妻との間の7番目の次女として生まれ、7歳で実母と死別、年の離れた姉と離別後、父親が再婚したものの、継母からの冷たい仕打ち、異母弟の死などにより15歳の時(1942年頃)家出した。
満18歳(16歳?)の時に、東京都多摩郡で終戦を迎え、最初はパンパンをし、21歳の時にホステスとなり、最初の結婚をする。
後に夫とは死別、息子は生後半年で施設に預けられ、後に親族に養子に引き取られた。
1955年頃、国際劇場(横浜市)でストリップにデビュー。
東京、名古屋、大阪などで活動。
芸名は赤羽マリ、リオ椿から、1966年に一条さゆりに改名。
その半生をつづった駒田信二の実録小説『一条さゆりの性』で人気に火がつき、「ストリップの女王」と言われた。
1967年 - 1973年(引退翌年)まで11PM(よみうりテレビ制作・通称大阪イレブン)のレギュラーを務めたことにより人気が加速する。
また、新左翼やウーマンリブなどの活動家から「特出しの女王」「反権力の象徴」と祭り上げられた。
1973年には本人出演で、その半生を描いた映画『一条さゆり 濡れた欲情』も作られた。
SM的な演出と「特出し」などの観客を喜ばせることに徹した芸により、1972年に引退するまで公然 ……
一条さゆりさんが亡くなってから、27年と110日が経ちました。(9972日)