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田中小実昌 氏(たなかこみまさ)

作家[日本]

2000年 2月26日 死去肺炎享年76歳

田中小実昌 - ウィキペディアより引用

田中 小実昌(たなか こみまさ、1925年(大正14年)4月29日 - 2000年(平成12年)2月26日)は、日本の小説家、翻訳家、随筆家。
直木賞・谷崎潤一郎賞受賞。
来歴・人物= 東京市千駄ヶ谷生まれ。
父・田中種助はバプテストの神学校を出た東京市民教会の牧師。
40歳の種助と46歳の母・マサ子の長男として生まれる。
父の転勤で4歳から広島県呉市東三津田町で育つ。
7歳のとき、父が呉三津田の山に「アサ会」という十字架のない独自のキリスト教教会を創立。
実家近くの広島県立呉第一中学(現・呉三津田高校)を受験するが失敗し、旧制西南学院中学に入学。
母親の意向で一年後に呉第一中学の編入試験を受け2年から転校した。
同級に井上忠。
同校四年修了で旧制福岡高校に入学、在学中、1944年12月、19歳で出征し山口県の連隊に入営。
中国の湖北省と湖南省の境で、粤漢線鉄道警備の部隊に編入され、苦しい行軍の中でアメーバ赤痢、マラリア、コレラに罹る。
特徴的なツルツル頭はその後遺症ともいわれる。
敗戦直前にアメーバ赤痢の疑いで野戦病院に移送となり終戦。
1946年に呉市に戻り旧制福岡高校を繰上げ卒業、同年東京大学文学部哲学科に無試験入学するもほとんど出席せず、米軍基地の兵舎のストーブマンなどをしたあと、1952年に除籍となる。
大学在学中から渋谷の東横デパートの4階にあった軽演劇の劇場「東京フォリーズ」の文芸部員として働き、ここが火事で解散にな ……

田中小実昌さんが亡くなってから、24年と269日が経ちました。(9035日)