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井上ひさし 氏(いのうえひさし)

作家作家[日本]

2010年 4月9日 死去肺がん享年77歳

井上 ひさし(いのうえ ひさし、本名:井上 廈(読み同じ)、1934年〈昭和9年〉11月16日 - 2010年〈平成22年〉4月9日)は、日本の小説家、劇作家、放送作家である。
文化功労者、日本芸術院会員。
1961年から1986年までの本名は内山 廈(うちやま ひさし)[† 3]。
遅筆堂(ちひつどう)を名乗ることもあった。
日本劇作家協会理事、社団法人日本文藝家協会理事、社団法人日本ペンクラブ会長(第14代)などを歴任した。
晩年は自身の蔵書を収蔵した遅筆堂文庫を造り、運営した(後述)。
先妻は西舘代志子。
後妻のユリは元衆議院議員米原昶の娘。
長女は元こまつ座主宰の井上都。
三女は株式会社こまつ座社長の石川麻矢。
来歴[編集] 幼少時代[編集] 1934年11月16日、井上靖と競った文学青年の井上修吉を父とし、井上マスを母として山形県東置賜郡小松町中小松(現・川西町)に生まれる。
修吉は実家が薬屋だったため薬剤師を目指す一方、農地解放運動に関わり、地方劇団「小松座」を主宰したほか、1935年には小松滋の筆名で書いた小説『H丸傳奇』が『サンデー毎日』第17回大衆文芸新人賞に入賞している。
プロレタリア文学雑誌『戦旗』への投稿や同誌の配布の手伝いもしていた。
マスが病院の下働きをしていたときに薬剤師助手の修吉と知り合い駆け落ちしたが、井上の籍には入らず、ひさしたち3兄弟は戸籍上は非嫡出子(婚外子)として生まれた。
廈(ひさし)という名前は、 ……

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井上ひさしさんが亡くなってから、14年と109日が経ちました。(5223日)