小林一茶(こばやしいっさ)
俳諧師[日本]
(文政10年11月19日没)
1828年 1月5日 死去享年66歳
小林 一茶(こばやし いっさ、宝暦13年5月5日〈1763年6月15日〉- 文政10年11月19日〈1828年1月5日〉)は、日本の俳人。
本名は小林 弥太郎(こばやし やたろう)[† 1]。
一茶は俳号。
別号は圯橋、菊明、新羅坊、亜堂。
庵号は二六庵、俳諧寺。
信濃国柏原で中農の子として生まれた。
15歳の時に奉公のために江戸へ出て、やがて俳諧と出会い、「一茶調」と呼ばれる独自の俳風を確立して松尾芭蕉、与謝蕪村と並ぶ江戸時代を代表する俳諧師の一人となった。
文中の年代については、明治6年以前は何日の出来事であったか明記したものについて和暦(西暦)の形で日まで表記し、日まで表記しなかったものは和暦の年号をもとに和暦(西暦)で標示した。
また明治6年の明治改暦以降についても、明治6年以前の表記と統一性を持たせるために和暦(西暦)の表記とした。
また、文中の年齢は数え年で表記した。
概要=
小林一茶は宝暦13年5月5日(1763年6月15日)に北信濃の北国街道の宿場町、柏原に生まれた(実母は仁倉の里方で出産した)。
小林家は柏原では有力な農民の家系であり、一茶の家族も柏原では中位クラスの自作農であった。
幼い頃に母を失った一茶は、父が再婚した継母との関係が悪く、不幸な少年時代を過ごす。
一茶を可愛がっていた祖母の死後、継母との仲は極度に悪化し、父は一茶と継母を引き離すことを目的として15歳の一茶を江戸に奉公に出す。
この継母との確執は ……
小林一茶が亡くなってから、196年と299日が経過しました。(71888日)