芸能人・経営者のおくやみ情報

金子兜太 氏(かねことうた)

俳人[日本]

2018年 2月20日 死去急性呼吸促迫症候群享年100歳

金子兜太 - ウィキペディアより引用

金子 兜太(かねこ とうた、1919年(大正8年)9月23日 - 2018年(平成30年)2月20日)は、埼玉県出身の日本の俳人。
現代俳句協会名誉会長。
日本芸術院会員。
2008年、文化功労者に選出される。
小林一茶、種田山頭火の研究家としても知られる。
加藤楸邨に師事した。
「寒雷」所属を経て「海程」を創刊し、主宰した。
戦後の社会性俳句運動、前衛俳句運動において理論と実作の両面で中心的な役割を果たし、その後も後進を育てつつ第一線で活動した。
上武大学文学部教授、現代俳句協会会長などを歴任した。
来歴= 埼玉県比企郡小川町の母の実家で、父・金子元春と母・はるの長男として生まれる。
父の元春は開業医で、「伊昔紅(いせきこう)」の俳号を持つ俳人である。
水原秋桜子の「馬酔木」に所属し、1930年に自身の俳誌「若鮎」を創刊し、秩父音頭の復興者としても知られている。
伊昔紅の代表句は「元日や餅で押し出す去年糞」で、桂三木助が「蛇含草」を演する時にこれを引用し、その流れから『ビートたけしのオールナイトニッポン』初回にビートたけしが「元旦や餅で押し出す二年糞」と同句を捻ったものを第一声としたために有名になった。
2歳から4歳までその父の勤務地であった上海で、帰国して以降は秩父の地で育つ。
旧制熊谷中学校を卒業し、1937年旧制水戸高等学校に入学した。
高校在学中の1937年に、一級上の出澤三太に誘われて同校教授宅の句会に参加して ……

金子兜太さんが亡くなってから、6年と259日が経ちました。(2451日)

推定関連画像