佐藤惣之助(さとうそうのすけ)
詩人、作詞家[日本]
1942年 5月15日 死去脳溢血享年53歳
佐藤 惣之助(さとう そうのすけ、1890年〈明治23年〉12月3日 - 1942年〈昭和17年〉5月15日)は、日本の詩人、作詞家。
経歴=
神奈川県橘樹郡川崎町砂子(現在の川崎市川崎区)にて於いて佐藤慶次郎・うめ夫妻の二男として出生。
佐藤家は川崎宿砂子の本陣を預かる家柄であった。
1897年(明治30年)川崎尋常小学校入学。
1903年(明治36年)3月、高等科1学年修了。
4月、東京市麻布区飯倉町の糸商「万文」に丁稚奉公開始。
住み込み、この頃から句作をする。
1904年(明治37年)俳句雑誌『半面』に関与し、千家元麿と識り、ともに『新潮』俳句欄に投稿するとともに、同欄選者佐藤紅緑に師事する。
1906年(明治39年)渡米を志し、身体検査を受けるも、眼疾のため不合格となる。
「万文」を退職し、父の家業を手伝う。
1907年(明治40年)暁星中學附属佛語専修科に入学し、2年間フランス語を学ぶ。
この頃から詩作する。
1909年(明治42年)佃島の下宿と川崎の実家とを往復する日々を過ごし、小山内薫、吉井勇と交友する。
1911年(明治44年)5月横浜の輸出商の娘で、従妹にあたる川田花枝と結婚し、東京市麻布笄町に住む。
1912年(大正元年)12月千家元麿、福士幸次郎らと雑誌『テラコツタ』創刊[注釈 6]。
1914年(大正3年)1月千家とともに雑誌『エゴ』創刊[注釈 7]。
1916年(大正5年)1月に最初の詩集である『正義の兜』を出版[注釈 8]。
10月父慶次郎死去。
翌1917年( ……
佐藤惣之助が亡くなってから、82年と190日が経過しました。(30141日)