上原げんと(うえはらげんと)
作曲家[日本]
1965年 8月13日 死去心筋梗塞享年52歳
上原 げんと(うえはら げんと、1914年(大正3年)12月28日 - 1965年(昭和40年)8月13日)は、昭和期の日本の作曲家。
弟も同じく作曲家の上原賢六。
経歴=
青森県西津軽郡木造町出身。
(現つがる市木造)(本名:上原治左衛門)実家は蓄音機店。
1936年(昭和11年)から、演歌師などをしながら全国放浪をする。
1938年(昭和14年)2月、歌手の岡晴夫と組み、「国境の春」でキングレコードからデビュー。
その後も、岡晴夫の黄金期を支える作曲家として数々の曲を作曲する。
戦後はコロムビアレコードに移籍し、美空ひばり、初代コロムビア・ローズ、島倉千代子などに曲を提供する。
作詞家・石本美由起もコロムビアレコードに移籍させコンビを組む。
1965年(昭和40年)8月13日、避暑地に向かう車中で心筋梗塞を発症し急死。
50歳没。
墓所は東京都八王子市の東京霊園。
没後、地元のつがる市内で『上原げんと杯争奪のど自慢大会』が開催され、2023年(令和5年)時点で45回目を数えている。
代表曲=
『国境の春』(昭和14年2月)[松村又一作詞、歌:岡晴夫]
『上海の花売娘』(昭和14年5月)[川俣栄一作詞、歌:岡晴夫]
『港シャンソン』(昭和14年8月)[内田つとむ作詞、歌:岡晴夫]
『広東の花売娘』(昭和15年1月)[佐藤惣之助作詞、歌:岡晴夫]
『パラオ恋しや』(昭和16年7月)[森地一夫作詞、歌:岡晴夫]
『花の広東航路』(昭和16年8月)[佐藤惣之助作詞、歌:岡晴 ……
上原げんとが亡くなってから、59年と100日が経過しました。(21650日)