川田晴久(かわだはるひさ)
俳優、歌手、コメディアン[日本]
(本名・岡村郁二郎)
1957年 6月21日 死去享年51歳
川田 晴久(川田 義雄)(かわだ はるひさ(かわだ よしお)、本名:岡村 郁二郎、1907年〈明治40年〉3月15日 - 1957年〈昭和32年〉6月21日)は、昭和期を代表する日本の俳優、歌手、コメディアン、ボードビリアン。
いわゆるボーイズものの創始者である。
灘康次を始め、多くの弟子を育てたことでも知られる。
また、美空ひばりの「師匠」または「芸能界の育ての親」としても、近年、再評価が為されている。
戦前は主に吉本興業(東京吉本)所属。
プロフィール=
東京府本郷区根津の印刷所を経営する岡村嘉松の子として生れる。
貧しかった少年時代に、家々の屋根を棒で飛び越えるという遊びに興じていた際に転落してしまう。
この不慮の事故により脊椎カリエスを患うことになり、これが終生川田を悩ませる病となる。
音楽好きな少年で、独学でハーモニカやヴァイオリンに親しんでいた。
1930年、浅草音羽座でレビュー歌手・川田義雄としてハーモニカを持ってデビュー。
当時、絶大な人気を誇ったテナー歌手藤原義江に傾倒していたことから、テノールを表す「川」とローカルカラーを表す「田」、それに藤原義江からの「義」を取って、川田義雄を芸名として名乗ったとされている。
様々な一座を転々とし、ようやく落ち着いた吉本興業(東京吉本)で、永田キング(当時有名だった外国のコメディ俳優マルクス兄弟の模写などで人気を博す)のグループ「永田キング一党」に加わり、ス ……
川田晴久が亡くなってから、67年と115日が経過しました。(24587日)