小唄勝太郎(こうたかつたろう)
歌手[日本]
1974年 6月21日 死去肺がん享年71歳
小唄 勝太郎(こうた かつたろう、1904年(明治37年)11月6日 - 1974年(昭和49年)6月21日)は日本の女性歌手。
本名は眞野 かつ。
旧姓は佐藤。
芸者勝太郎として葭町花街に籍を置く傍ら、『島の娘』で歌手デビューし、いわゆる「ハァ小唄」の流行を作った。
三島一声と歌った『東京音頭』の大ブームを受けて芸妓の籍を抜け、小唄勝太郎と名乗って歌手業に専念した。
市丸、赤坂小梅、浅草〆香らとともに芸者歌手の一時代を形作ったひとり。
1971年(昭和46年)に紫綬褒章を受章。
来歴=
1904年(明治37年)、新潟県中蒲原郡沼垂町(現在の新潟市中央区)生まれ。
親戚の経営する料亭「鶴善」の養女となり、1917年(大正6年)、小学校卒業と同時に鶴善からお勝の名で雛妓(おしゃく)としてお披露目。
以後、長さ430間の木橋 萬代橋を毎日渡り、新潟古町まで芸の修行に通った。
新潟沼垂時代から芸の巧みさで注目され、1924年(大正13年)1月1日付けの新潟新聞では次のように紹介されている。
「町で一流といったら年齢は若いが、まず第一に指を屈するは鶴善楼かつ。
ちょっと丸顔で眼の細い愛嬌のある
小唄勝太郎が亡くなってから、50年と109日が経過しました。(18372日)